この世界一周を実際に発案したのは去年の十一月。それから実際に行けるのかどうか具体的に調べ始め、現実的に可能であるということがわかったのが十二月。家族や親戚にはその時報告した。うちの母親も高校卒業してすぐ単身アメリカに渡ったということもあり身内はみんな旅には寛容だったし自分も別に反対されるとは思っていなかったので気が楽だった。
そして初めて身内以外の人に話したのが今年の一月三日。友達と初詣に行った時に神社で旅の無事と成就をお願いし、そしてその後に行った飲み会で初めて話した。その後もまあ公にはしなかったものの別に頑なに隠す気は無かったので友達には気分次第で話したり話さなかったり。
その後自分がするべきサークルの仕事も全て終え、サークル活動に区切りをつけて本格的に旅行準備を始めたのが四月。この時同時にmixiにも日記を書き、初めて公の場で発表した。そして最初に発案してから半年余り。いよいよ旅立ちまで残り二ヶ月という段階にまできました。
色んな人に応援されたり心配されたり。嬉しい反面「そんなに心配するなよw。大丈夫だよw」とも思うこともあった。ただ自分のやりたいことをやるだけなのになぜそこまで心配するのだろうと。でも実際は当たり前だけど自分が一番心配なんですね。そりゃ他人にとってはいくら仲が良かろうが所詮他人事。対して自分は自分自身の命の危険だってあるわけだから当然なんですが。
そんな時友人にこんなメッセージを貰いました。
「そら不安だからこれでもかってくら綿密に調べるけどそんなこと文章化できるはずもないしみんな興味ないだろうし、書いたら書いたで終わんないしだれも読まないから「まぁ大丈夫」以上の言葉はいえないやね。わかるよ。でもどうしようもないね。」
このメッセージは完全に自分の気持ちを代弁してくれてますw。図書館で地球の歩き方とか借りまくってたくさん下調べして、どこにも行ってないのにめちゃくちゃ世界の観光地について詳しくなったりもしたしw。でも実際いくら調べたって完全に安全という状況は作れないし、資金だっていくらあっても「まだ足りないかも・・・」という不安があるんですね。でもそれは当たり前のこと。
危険な目に合うのが嫌ならばずっと日本にいればいい。家の外に出ないで引きこもっていればいい。でも「海外は危ないから、怖いから」という理由だけで観たいものを観れない、行きたいところに行けないのはあまりにも残念だし悔いが残ると思った。
だから別に危なくないと思ってるわけじゃなくて当然危険もたくさんあると思う。旅先で命を落とすことだってあり得ない話ではない。でもそれはどうしようも無い。ただ死なない努力を最大限に尽くして行くしかない(危ない場所には行かないという選択も含めてね)。そしてその努力をしなければならないのは海外だろうが日本だろうが同じこと。確かに危ないこともあるかもしれないけどそれでも自分は旅行がしたい。世界を観たい。せっかく地球に生まれたのに地球の大部分を観ることが出来ないのはあまりにももったいない。
だから海外に一人旅する人はよく「自分を探しに」とか「自分を見つめなおしに」とか言ったりするけど自分はあまりそういうことには興味が無い。ただ観光がしたいだけw。実際世界には自分の国を出ることはおろか自分が生まれた村からも出られずに一生を終える人がたくさんいる。その反面自分は行きたいと思うところには大抵どこでも行ける。なんと恵まれた環境にいるんだろう。こんな恵まれた環境を活かさない手は無い。まあしいて旅をする理由を言うとしたらこんなとこだろうか。
出発まで残り二ヶ月。ぶっちゃけまだ準備もたくさん残ってるし全然実感無いけどなにか不測の事態が起こらない限り二ヵ月後の今日、自分は確実に香港の大地を踏みしめている。これを書いているのは夜だからどこかの安宿で寝ているかどこかで百万ドルの夜景を眺めているのだろう。そんな自分全然想像つかないけれど、それはまだ準備が全然終わっていないから実感が湧かないんだろう。出発前日、全ての準備が整いあとは明日飛行機に乗るだけ、という状況になったら果たして自分は何を思うのだろうか。